藍より青い。

思ったことをつらつらと書いていきます。

なぜ自殺をしてはいけないのか。その1

 なぜ自殺をしてはいけないのか。

 

 わたしは死にたいと思っている。

 もう何年も前から思っていて、その欲求は時間が積み重なるにつれて強く、具体的になっているように感じる。

 まあ十中八九鬱病なのだろう。医療機関を受診した方が良いことは自分でもよくわかっているが、病院に行く気力がないままここまで来てしまった。というかそもそも、精神科や心療内科というのはどこも予約が殺到しているようで、受診までのハードルがかなり高い。実際わたしも予約を断られた経験がある。

 

 死にたいから、カッターナイフで自分の身体を切ったこともあるし、皮がめくれて血が出るまで手の甲や手首をひっかいたこともある。この1年弱は、何度もベルトで首を吊ろうと試み、気がついたら床に転がっていたこともある。

 

 前置きが長くなってしまった。なぜ自殺をしてはいけないのか、ということについて考えるようになったきっかけは、他人から、死んではいけない、と言われることが何度かあったからだ。

 

 

 わたしに対して「死んではいけない」と言ったのは、大学時代の友人と、カウンセラーだ。

 

 まず、友人について。わたしは以前、自分の中にあるどす黒い気持ちをはき出したい気持ちに駆られて、twitterで「死にたい」とつぶやいたことがある。端から見ればやばい奴だっただろう。遠方に住んでいる友人は、そんなわたしを見かねて、DMで、「みんな悲しむから死んじゃだめだよ」と諭してきた。

 

 わたしはこの友人の言葉が上手く飲み込めなくて、当時利用していたチャット相談の相談員の方に相談してみた。

 わたしはてっきり、相談員さんは「うんうん、そうだね、あなたの言うとおりだよ」的なことを言ってくれるんじゃないかと予想していた。

 けれど、相談員さんには、「わたしは、家族や友人など、大切な人のために生きていこうと常々考えている。」的なことを言われた(チャットの履歴が消えてしまったので、原文ママではない。)。

 えええええーーーーとなってしまった。

 そうなのか、皆他人のために生きているのか……。愕然とした。皆すげえな。

 

 しかしやはり納得しきれない。誰かのために生きるというのは理解できる。愛する家族や恋人ために生きている人、というのは多いだろう。或いは推しのために生きている、と言う人もいるかも知れない。それはとても素敵なことだと思う。残念ながらわたしは現在の所そういう心境には至っていない。

 けれど、ある人が自殺しようとしているとして、「他人が悲しむから自殺はやめろ」というのは、少しずれているのではないだろうか。それだと天涯孤独の人は自殺しても良いことになってしまう。

 

 自殺してはいけない本質的な理由というのは、もっと別の所にあるのではないだろうか。もっと本質的で普遍的な理由があるのではないか。

 

その答えを、少しづつ探していこうと思う。

 

続きそう。