藍より青い。

思ったことをつらつらと書いていきます。

うつ病日記②(10代編)

初めて死にたいと思ったのは、15歳の頃だった。

父親に、「お前みたいな人間は要らない」と言われたのだ。

 

今となって思えば、これは私がうつ病となった数ある原因の一つに過ぎないのだと思う。

けれどきっかけになったことは否定できないであろう。

 

当時の私は、常に気を張っていたように思う。

何となく、自分は結婚もしないだろうし、誰も助けてくれはしないだろうから、一生一人で生きていくのだろう。何となくそう感じていた。

 

18歳の時、初めて自傷行為をした。教室が息苦しくてたまらなくて、校舎の隅の人が来ないトイレの個室で、カッターナイフを使って自分の手を切った。授業中どうしようもなく取り乱しそうになった時は、自分の手の甲を川がめくれて血がにじむまでひっかいた。

 

それでも当時、私の以上に気づいてくれる人はいなかった。

うつ病日記①プロローグ

私はうつ病だ。

 

正確には周期性のうつ病というものだと診断を受けた。

これが昨年の12月頃の話。

 

うつの症状―死にたいとか消えたいとかそういう感情―は、十代半ばから始まっていたと思う。私は今年で25歳になるので、10年近くもの間、この症状と付き合ってきたことになる。我ながら頑張ったものだ。

 

今も継続して心療内科に通っている。

処方されている薬でだいぶ楽になってきたので、自分のうつ病についてのあれこれを気の向くままにゆるーく綴っていこうかなと思う。

 

ではでは。

次回は心療内科診察に至るまでを書こうかな。

なぜ自殺をしてはいけないのか。その1

 なぜ自殺をしてはいけないのか。

 

 わたしは死にたいと思っている。

 もう何年も前から思っていて、その欲求は時間が積み重なるにつれて強く、具体的になっているように感じる。

 まあ十中八九鬱病なのだろう。医療機関を受診した方が良いことは自分でもよくわかっているが、病院に行く気力がないままここまで来てしまった。というかそもそも、精神科や心療内科というのはどこも予約が殺到しているようで、受診までのハードルがかなり高い。実際わたしも予約を断られた経験がある。

 

 死にたいから、カッターナイフで自分の身体を切ったこともあるし、皮がめくれて血が出るまで手の甲や手首をひっかいたこともある。この1年弱は、何度もベルトで首を吊ろうと試み、気がついたら床に転がっていたこともある。

 

 前置きが長くなってしまった。なぜ自殺をしてはいけないのか、ということについて考えるようになったきっかけは、他人から、死んではいけない、と言われることが何度かあったからだ。

 

 

 わたしに対して「死んではいけない」と言ったのは、大学時代の友人と、カウンセラーだ。

 

 まず、友人について。わたしは以前、自分の中にあるどす黒い気持ちをはき出したい気持ちに駆られて、twitterで「死にたい」とつぶやいたことがある。端から見ればやばい奴だっただろう。遠方に住んでいる友人は、そんなわたしを見かねて、DMで、「みんな悲しむから死んじゃだめだよ」と諭してきた。

 

 わたしはこの友人の言葉が上手く飲み込めなくて、当時利用していたチャット相談の相談員の方に相談してみた。

 わたしはてっきり、相談員さんは「うんうん、そうだね、あなたの言うとおりだよ」的なことを言ってくれるんじゃないかと予想していた。

 けれど、相談員さんには、「わたしは、家族や友人など、大切な人のために生きていこうと常々考えている。」的なことを言われた(チャットの履歴が消えてしまったので、原文ママではない。)。

 えええええーーーーとなってしまった。

 そうなのか、皆他人のために生きているのか……。愕然とした。皆すげえな。

 

 しかしやはり納得しきれない。誰かのために生きるというのは理解できる。愛する家族や恋人ために生きている人、というのは多いだろう。或いは推しのために生きている、と言う人もいるかも知れない。それはとても素敵なことだと思う。残念ながらわたしは現在の所そういう心境には至っていない。

 けれど、ある人が自殺しようとしているとして、「他人が悲しむから自殺はやめろ」というのは、少しずれているのではないだろうか。それだと天涯孤独の人は自殺しても良いことになってしまう。

 

 自殺してはいけない本質的な理由というのは、もっと別の所にあるのではないだろうか。もっと本質的で普遍的な理由があるのではないか。

 

その答えを、少しづつ探していこうと思う。

 

続きそう。

夜の声

 静寂と言う言葉は、真夜中を表すのにふさわしい言葉だと思う。昼間を覆っていた騒がしさも明るさも跡形もなく消え去り、黒いインクを垂らして全てを覆い隠してしまったようにひっそりととしている。私以外誰もいなくなってしまったみたいだ、とありきたりなことを考えてしまうほどに、静寂だ。
 そんな真夜中が好きだな、と思う。意識まで真夜中に溶けてしまうまでの間、気怠さを抱えながらぼんやりする時間が好きだった。何を考えるわけでもないけど、頭を空っぽにするわけでもない、頭の中も黒いインクがたっぷりとつめられたように濃密な静けさに満ちている。そんな時間が毎日のどの時間よりも安心できた。そうしている間だけは、息ができた。そうしている間だけは、生きていいと思えた。
 だけど真夜中は、いつも静寂なわけじゃない。今日はどうやら静寂ではないようだ。
 私の周囲は今日も静けさに満ちている。けれど私は、私の頭の中は一向に静まる気配を見せない。頭の中を声が、言葉が駆け巡る。

 私なんか要らない。
 私なんかいない方が良い。
 私なんか誰からも大事にされないし、何の価値もないんだから。
 
 止まらない。これらの声は、言葉は、別に誰かが私に対して言ったわけではない。私は誰からもこんな言葉を投げかけられてはいない。私ではない誰かが私の頭の中で喋っているわけでもない。紛れもない私が、私に対する呪いの言葉を絶えることなく生み出しているのだ。
 こんな事には意味がないことは、私が誰よりも良く理解している。けれど止められないのだ。水の中にストローで息を吹き込んだみたいに、言葉がぼこぼことあふれ出てくる。自分ではどうすることもできない。
 頭の中でそれが始まった時の有効な対処法が一つだけある。この方法は、本を読んでも音楽を聴いても収まらないときにしか使わないと決めている方法。
 部屋の電気を付け、ベッドから立ち上がると、勉強机の引き出しに仕舞ってある物を取り出す。つまみを上に上げていくと、カチカチと音を立てながら鈍い銀色の刃が顔を出した。私はそれを、自分の腕に押し当てる。
 
 カッターナイフで自分の身体を初めて切ったのは半年ほど前のことだった。その夜も頭の中でずっと声がして、何をやっても声は収まらなくて、布団の中でひっそり泣いていた。黒い闇が自分にのしかかっているみたいで、押しつぶされそうになっていたとき、ふと、何年も前に読んだ小説を思い出した。
 その小説は、両親から虐待を受けている女の子が主人公だった。助けてくれる大人も友人もいない女の子は、地獄のような毎日を乗り切るためにカッターナイフに手を伸ばす。手首をカッターナイフですっと切ると、ぷつっと切れた皮膚の間から鮮やかな赤い血があふれ出す。そうするとすうっと気持ちが静まって、女の子は明るい気持ちで日常に戻る。
 その本を読んだときは、手首を切って気持ちが静まるというのがぴんとこなかった。痛い思いをして明るい気持ちになれるわけがない。
 もうタイトルも思い出せない小説のワンシーンが、とても甘い印象を伴って鮮明に思い出された。自分の身体を切れば楽になれる。何の根拠もないけれどそんな予感がした。
手首を切るのはさすがに怖かったし、傷が残ったらリストカットしましたって宣言しているようなものだなと思ったので、指先を試しに切ってみることにした。カッターナイフを指に押し当てて引っ張ってみてもなかなか切れないものだなと冷静に考えたことを覚えている。何度も試してやっと一センチにも満たない傷を付けることに成功し、指先から、ぷっくりと赤い血が顔をのぞかせた。私は動くこともできずにその血を見つめていた。死にたい気持ちは変わらず背後にあったけれど、私の中でぱんぱんに膨らんでいた何かが傷口から血と一緒に流れ出ていくような気がした。風船の空気が抜けてしぼんでいくみたい、と思った。その夜は久しぶりによく眠れた。

それ以来、私は時々こうしてカッターナイフで自分の身体に傷を付けている。
こんなこと、他人には言えないとわかっている。こんな風に自分の身体を傷つけることは良くないことだと言うことも痛いほどに理解している。けれど同時に、自分の中にある辛さとか、やるせなさとか、死にたい気持ちはいくら言葉を尽くしても誰にも理解してもらえないし誰とも分かち合うことができないという確信もあった。確信と言うよりも諦めに近いかも知れない。
それに実際、自分の身体を切った夜は、よく眠れる。翌日学校に行っても屈託なく笑える。自分の中の死にたさから上手く目をそらすことができているように感じる。友人からも最近機嫌良いね、とか、明るくなったねと言われることが増えた。
一方で、夜、頭の中がうるさくなることが増えた。昼間人前で楽に過ごせるようになるのに反比例するように、夜はうるささを増していった。はじめは指先にほんの小さな傷を付けるだけだったのが、太ももや二の腕に跡が残るような傷を付けるようになっていった。思ったよりも深く切ってしまい、血がたくさん出て死ぬのかな、と慌てることもあった。やめた方が良いんだろうなと言う思いはあった。でもやめられなかった。やめられない辛さで、また腕を切った。
昨日と同じように、一昨日と同じように、カッターナイフを腕に当てる。それだけで心臓がどきどきする。カッターナイフを握る手に力を込める。
―――これで楽になれるんだ。
   私にはもう、これしかないんだ。

その時、ベッドの上のスマートフォンが鳴り響いた。着信音というのは突然なるのが当たり前だが、自分の腕を切ることに集中していた分、飛び上がるほど驚いてしまった。
何が起きたのかすぐに理解できず、しばらく固まってしまったが、スマートフォンは鳴り止まない。アプリの通知やメールではないということだ。カッターナイフを机に置き、スマートフォンを拾い上げる。
スマートフォンの画面に表示されていたのは、同じクラスの女の子の名前だった。

彼女とは特段仲が良いわけではない。学校でいつも一緒にいる友人はお互い他にいるし、話さないことの方が多い。彼女は休み時間によく本を読んでおり、物静かな子という印象があった。
彼女と初めて話したのは、なんとなく家に帰りたくなくて、でも友人と騒ぐ気にもなれない日の夕方だった。私は人の少ない近所の河原をぶらぶら歩いていた。燃えそうに赤い夕日が川面まで赤く染めながら西の空に沈んでいく様子を眺めていたら、なぜか涙が出そうになって、こらえようと思って口を開けたら、「きれい……」と声が漏れてしまった。
確かに私の口から声が出たはずなのに、私の後方からも声が聞こえてきた。振り向くと、彼女がいて、目が合った。
「ここの夕日、きれいだよね」
そう言うと彼女は私の隣まで近づいてきた。
「私は初めて来たから……」
「そうなの?私はね、落ち込むことがあると、ここに来るんだ。」
物静かな彼女が屈託なく話しかけてきたことにも、落ち込むことが彼女にもあるという、考えてみれば至極当然のことに私は驚いてしまった。
 彼女とは、その後河原でとりとめのないことを話した。私は、今日はなんとなく憂鬱で家に帰る気分にならないことを話した。彼女は茶化すでもなく、安易な共感を示すでもなく、ただ話を聞いてくれた。彼女は私に落ち込んでいる理由を話してくれた。私は「わかるよ」というのも、アドバイスをするのも違う気がして、ただうなずいて聞いていた。彼女と話している間は、楽に息ができた。
 私はその後、あの河原には行かなかった。行けば彼女と話ができるかも知れなかったが、彼女にくだらない愚痴を聞かせてしまいそうだった。私の汚い部分を見せてしまいそうだった。それだけはしたくなかった。

 「……もしもし」
 「もしもし?ごめん、こんな時間に。もしかして起こしちゃった?」
 こんな真夜中に電話をかけてくるなんて何かあったのだろうかと、声に怪訝さが滲んでしまった私とは対照的に、彼女の声は静かな明るさに満ちていた。
 「ううん、起きてたよ。電話したことなかったから驚いちゃって。何かようだった?」
 「今日さ、流星群が観られるってテレビで言ってたの、教えてあげようと思ってたのにすっかり忘れちゃってて。始まるの、もうすぐみたいだよ」
 そういえば、朝のワイドショーでも夕方のニュース番組でもそんなことを言っていた気がする。完全に聞き流していた。
 「そうなんだ、星、好きなの?」
 「詳しいとかじゃないんだけどね、前に夕日一緒に観たでしょ。あの時間、すごく落ち着いて、よかったなって思ってたから、流星も一緒に観れたら良いなって思ってたの」
 彼女もあの河原での時間を良かったと思っていたことが嬉しかった。スマートフォンを耳に当てながら窓辺へと向かいカーテンを開ける。
 「流星群、窓からも見えるのかな」
 その時、真っ暗な空に光が駆けたのが目に飛び込んだ。何も見えない、何の気配もしない夜空に細い光が一筋。
 「あっ……!今、見えたよ!流れ星!」
 真夜中だと言うことも忘れて私は声を上げていた。
 「本当に?あ、私も今見えた!すごい!」
 その後も、群と言うほど大量ではないものの、流れ星をいくつか夜空の中に見つけ、私と彼女はそれをお互いに早口で報告し合った。
 新しい光の筋が見つからなくなり、流星群も終わりかという雰囲気が漂うと、私と彼女の通話もなんとなくお開きという感じになった。私は、電話を切る前に彼女に何か言いたいことがある気がしてならなかったが、上手く言葉が出てこなかった。私と彼女の間にしばらく沈黙が流れた。
 「じゃあ、明日も学校だし、そろそろ寝ないとだね」
 彼女が切り出した。
 「あのさっ!」
 言いたいことが自分の中で形になっていなかったけれど、気づいたら声が出ていた。思ったよりも大きな声が出てしまい、耳が熱くなる。頭は真っ白になって言葉が出てこない。
電話の向こうの彼女は喋らなかったが、私の次の言葉を待っていてくれているのだということが伝わってきた。
 「あの、私……明日、放課後この前の河原に行こうかな」
 カッターナイフを腕に押し当てたときよりもずっと心臓が大きな音を立てている。でも、嫌なうるささじゃない。
 「私も、私も明日の放課後、行くよ。この前の河原」
 彼女は静かにそれだけ言った。
それから私たちはおやすみとだけ挨拶をして電話を切った。
もう夜も遅い。明日も学校なのだから寝なければ身体が持たない。私はカッターナイフをペン立てに刺し、布団に入り、電気を消す。
真っ暗で、何も見えない。物の輪郭も気配も暗闇に溶けていく。私の輪郭も暗闇に溶けていきそうだ。私の意識も、段々と輪郭を失い、暗闇に溶けていく。何の音もしない、静寂。何の声も聞こえない、静寂。今夜は静かに眠れそうだ。私は静かに、暗闇の中に意識を手放した。

限りなく積まれた私の体

頑張ろうと思った。

いつもは頑張っていないのかと言われるとそんなことはないと思うけれど、でもやっぱり頑張ろう、頑張らねば、と思ったのだ。

死にたいけど仕事はたまっているし、頑張らなくても生きていけるほど甘くはない。何より、周りを見ると皆私よりもずっと大人に見えた。
毎日嫌なこともあるけど割りきってやらなければならないことをやり、自分のやることに責任をもっている。
それに比べて私は死にたいとばかりぼやいて、仕事も凡ミスばかりで、誰かがこの鬱屈とした日々を終わらせてくれないかと淡い期待を抱いてすらいる。

私も、いい加減大人になりたいと思った。

だからまず、仕事を頑張ろうと思った。
誰からも尊敬される程の優秀さは叶わないけれど、せめて与えられた仕事をきっちり責任を持ってやろうと思った。

頑張ろう、頑張らないと。

ぶすり、と鈍い感触がした。
私は包丁を手に持っていたが刃は目の前の何かに埋もれて殆ど見えず、足元には血だまりがあった。
顔を上げると「私」がいた。
「私」は大量に地を流しており、体には無数の刺し傷があった。
私はもう一度、頑張ろうと呟きながら「私」の体に包丁を突き立てた。何度も何度も、頑張ろうと呟いては刃を突き立てた。

弾力のある肉の表面がつぶれ、刃が沈んでいく。その感触が頭の深いところにこびりついて離れなくて、泣き叫びたいような気持ちになった。でもどこか冷静な頭で、鶏肉を細かく刻む時に似てるな、と思った。

私は、頑張るために、「私」をメッタ刺しにした。「私」は、もう頑張りたくないと涙を流していたように思う。
けれど、頭はいつもよりも心なしかクリアになり、仕事も捗った。


明日も頑張ろう。


頭の中の、深い、わずかな光も届かない程に深いところでは、「私」の死体が山積みになっている。

3連休最終日の午後、外は雨

3連休最終日の午後。外は大雨。どこにもいけない。
これだけ聞いたら憂鬱でつまんなそうだけど、別にそんなことはない。雨が窓ガラスに当たる、ぱちぱちって音を聞きながら、部屋の中で熱い紅茶を片手に買ったばかりの夏物語を読むというのは、控えめに言っていい。
雨の落ちる音と、扇風機のごーっという音以外は何も聞こえなくて、世界には私の他には誰もいないんじゃないかとさえ思えてくる。まあさすがに世界にはたくさんの人がいるけれど、少なくとも今この部屋には私しかいなくて、私を否定したり怒ったりプレッシャーを与えるような人も物も何もない。

このまま、私が消えてなくなってしまえばいいのに、とぼんやり思う。

私はこういうことをよく思うけれど、今感じているのは、精神的に不調な時のような黒々とした感情ではなくて、まどろみながらぬるま湯に足を浸しているような、どこか心地よさの残る感情だと思う。
このまま、この穏やかな気持ちの時に消えてなくなってしまえば、明日の朝、平日が始まってしまうことに絶望することもない。自分の仕事のできなさ具合に惨めになることもない。大して親しくもない人ににこにこして疲弊することもない。いいことずくめじゃないか。
しかしながら消えてなくなるというのは現実的には不可能なのだ。死にたいと消えたいは似ているかもしれないけど、そこには雲泥の差があって、私が望むのは「消える」ことなので、これは実現はできない(死ぬことと消えることの差については、また。)。
だから私は結局今日も消えたいなとぼんやり思いながら本を読むことしかできない。

明日からはまた、一生懸命普通の人のふりをして、生きていく。

雨が、止んだ。